墓掃除

家族

今度の金曜日に法事がある。曾祖父の25回忌だ。亡くなったときは100歳だった。私が高校生までは一緒に暮らしていたのだが、大学進学で本土へ行っており当時4年生だった。あと数か月元気でいてくれたら、また一緒に暮らすことができたんだが。風邪をこじらせたのか100歳なので老衰ということではあるのだが自宅で息をひきとった。息をひきとるまえには、私の名前も呼んでくれてたらしい。電話で連絡をもらって、すぐ準備をして羽田へ向かうモノレールで泣いてしまったのを覚えている。

自宅につくと親戚がきており、曾祖父は仏壇の前に寝かされていた。ふと触れたくなって触ると父から「何やってるか」と声をかけられ、手をひっこめた。小さいころからおじいだった。庭でくさむしりをしていたり、ゲートボール行ったりしているのを覚えている。おじいの座椅子にネームペンで「おじいさん」と書いて両親から怒られたのを覚えている。おじいの前で腹筋をしてみせて、すごいと褒められたのを覚えている。

昨日から仕事のことで気が滅入っていて、いろいろなことを悪いほうへ考えてしまっていたが、午前中は法事の打ち合わせをし、午後は父と墓掃除に行った。父も80歳近くなので、曾祖父の33回忌を自分が無事務めることができるかを少し不安がっていた。そんな父と墓掃除、昨年はシーミーも出来なかったので、お墓は草ボーボーと思っていたが、冬のせいなのかそれほど草木の勢いはなく、また2人でできる作業も限られているので、1時間程度で出来る分をやった。それでもだいぶすっきりしたと思う。おじいもこれくらいで良しとしてくれるだろう。

1時間、汗もかきながら墓掃除をすると少し気持ちもすっきりした。たぶん、こういったことが必要なのだろう。仕事だけではない時間が人生にはたくさんあるということを実感できる。昔の人は良く考えてシステム化していると思う。面倒なことをあえてやる必要があるようなしくみにして、親子や親戚とのつながりやコミュニティーの形成を継続させる。法事のためにおじさんかzくに連絡したら、おじさんが年明け手術して入院中だということも知った。遠慮して連絡してこなかったのだろう。コロナでお見舞いにも行けない状況でもあるし。

おじいは亡くなって25年たっても自分を助けようとしてくれている。私の役目はまた自分の子供たちにも引き継いでいくことなんだろう。

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