つながり

家族

みこしです。コロナ禍で休日も家で過ごしており、週末に遊びに出掛けることもなく、家族と職場の人しか会わない時期が長くなってきました。今日はかなり久しぶりにフットサルも開催されているのですが、会場が遠いのとコロナ禍が厳しい状況のなかにあるということで泣く泣く遠慮しました。

ぜんぜんやっていない運動も今月に入り少しづつ始めました。昨日の夜もジョギングしに近くの公園へ。今月に入って3回目のジョギングです。頻度が…

公園近くまで走って、信号待ちしていると不意に声をかけられました。同じ班の大先輩で私の前に班長をしていた人でした。コロナ前までは1か月に1回は班の集まりでいろいろ話したりしていましたが、1年以上お会いすることもない状況でした。信号待ちの一言、二言の会話でしたが、お互いに元気にしているのが確認できて、とても嬉しく思えました。この人との思い出は、5年前の自治会主催の敬老会の班の出し物。オリンピックをテーマにした笑えるものをということで、この人と私はシンクロをすることに。女性用の水着を着て、顔は目立つメイクをして鼻を洗濯バサミではさみ、舞台上にはブルーシートでプールを表現し、安室奈美恵の曲で颯爽と舞台上に出ていくとお客さんのおじいちゃん、おばあちゃんから笑い声と拍手をもらったのを覚えています。

今日は大学の友人からブドウが届きました。大学が本土へ行っていたので、夏になると沖縄から本土に住んでいる友人へ嫁さんにお願いしてマンゴーを送ってもらっているのですが、友人からはブドウやハムやお菓子などを頂くことがあります。マンゴーを送っていることが気を使わせてしまっているかなとも思いますが、ときどき連絡を取り合うきっかけになるのでいいのかなと。SNSや電話でも連絡を取ろうと思えば、簡単に連絡がとれますが、この便利さのために近くにいるようで離れてしまっているような気もします。

合理的ではない、簡単・便利でないことに自分の時間をどれだけ使えるかが、大事なのかな。面倒くさいと言えばそうなんですが、手間暇かけることに価値があるというか。自分のために時間を使ってくれたんだという、客観的な価格による価値ではない、自分だけの価値ということなんでしょうかね。それでいうと年賀状とか大事なんだと思います。年賀状出さなくなって数年経ちますが、見直したほうがいいのかな。仕事に費やす時間を減らす努力も必要なのかもしれないな。

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