おじい、ありがとう

今日は曾祖父が亡くなって25回忌にあたる。父は今日のためにいろいろ準備をしてきていた。仏壇周りの写真やお花やごちそうを業者さんと調整したり、お坊さんを手配せずに家族で般若心経を唱えるためのCDや歌詞。私は年休を取り、朝息子を幼稚園に送ったあと、父とお墓に出向いた。あいにくの雨、また学校へ送るためなのか、お墓周りの道路は以外にも車が多く、路上駐車で交通渋滞の原因になりそうで申し訳ない感じだった。お墓では、お花やお酒、お茶を備え線香をあげた。先週掃除したので、きれいな状態だと期待していたが、この雨で落ち葉も多く足元も悪かった。おじいに25回忌を迎えたよと思いをつたえ、自宅に帰った。

法事の準備はお昼から。とその前におじいの孫にあたるネーネーがその家族を代表して線香をあげにきてくれた。ネーネーの父親が正月から入院中ということもあり、うちの家族だけでやっておくと伝えてはいたのだが、時間を見つけてきてくれた。昨年からのコロナでシーミーやお盆、正月も会うことができていなかったので、久しぶりに会って近況を話すことができた。ネーネーの長男もう高校生だということ、しばらく見ないうちにというやつで、時がたつのが早く感じてしまう。

お昼には業者さんが、お花屋やお菓子、ご馳走など必要なものを届けてセッティングを手伝ってくれた。これない親戚にLINEで写真を撮って送った。こういうのは便利になったな。おじいのカジマヤーのときのDVDをテレビに映して、両親と嫁さんとみた。両親は懐かしそうに、この人はどんな人だったとか、自分も若かっただとか言いながら見ていた。おじいのカジマヤーのお祝いは地元自治会が主催してくれており、かなりの規模で行われていた。小学校の吹奏楽部あり、エイサーあり、小学校の体育館は結構な人数で埋め尽くされていた。みんなに慕われていたおじいと当時の地元コミュニティーのつながりのすごさを感じた。悲しいかな、このカジマヤーについては、私の記憶にはあまりない。私が高校生くらい、進学校の優等生の反抗期という親戚や地域とのつながりに距離を起きたいという時期だったのだと思う。今思うと残念だ。

子供たちが学校が終わって帰ってきてから、仏壇の前に集まり25回忌というかたちで始めた。父親がおじいの紹介をすると書いてきた原稿を読み聞かせてくれた。それは、おじいが亡くなる直前のことが詳しく書かれていた。私はそのころ大学生4年生で東京にいたので、詳しい状況は知らなかった。たぶんそれで私に伝えたいという気持ちがあったのだろう。おじいは風邪をこじらせて体調が回復せず老衰ということで亡くなった。病院に入院して療養して体調を回復してから家に戻ってくるように父親は考えていたのだが、おじいは入院を拒否し自宅療養を選んだということだった。寿命というのがわかっていたのかもしれない。最後は自宅で迎えたいという気持ちだったのだろうか。家族なのにその場に一緒にいれなかったのは今思ってもつらい。あと3か月でまた一緒に暮らすことになっていたのに。

おじいの話が終わると家族で般若心経を唱え、みんなで線香をあげた。うちかびを燃やすのは子供たちも楽しそうに手伝ってくれた。おじいの25回忌を無事家族で行うことができた。

おじいのおかげでコロナで離れかけた親戚たちとの繋がりをまた引き寄せてくれた。仕事でメンタルきつい自分にとっても、少し息を吹き返すことのできる時間をくれた。仕事よりも大事なものがあるという当たり前のことを認識できた。

私が小さかったころから可愛がってくれたおじいは、今も見守ってくれているのだろう。

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